道明寺エリア 観光ガイド~スポット紹介&おすすめコース~
道明寺天満宮
相撲の始祖 野見宿禰(のみのすくね)と古墳造営の匠 土師氏が起源の道明寺天満宮

道明寺天満宮 起源のものがたり
1400年以上の歴史がある道明寺天満宮の起こりは大変古く、その起源は日本書紀にさかのぼります。第11代天皇の垂仁天皇の命令で大和国の力自慢であった当麻蹴速(たいまのけはや)と力比べ(相撲)をするために出雲国より野見宿禰(のみのすくね)が召喚されました。野見宿禰はその勝負に勝ち、以後、垂仁天皇に仕えました。
当時、貴人が死去すると付き従っていた従者や馬を陵墓のまわりに生き埋めにする殉死の風習がありましたが、垂仁天皇の皇后の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の葬儀の時、野見宿禰は殉死者の代わりに土で作った人馬(埴輪)を立てることを進言しました。殉死の風習に心を痛められていた天皇はこれを喜び、その功績に野見宿禰は土師(はじ)の姓を与えられ、道明寺一帯を所領地として賜ります。
その後、土師氏は代々天皇の葬儀を司ることとなり、埴輪の製造と古墳造営を担う技術者集団となります。この土師氏の氏神を祀った土師神社が道明寺天満宮の起源となりました。

学問の神様 菅原道真公ゆかりの地
仏教伝来の後、聖徳太子の発願で土師寺が建てられ、平安時代のはじめには土師氏の末裔である菅原道真公の叔母の覚寿尼(かくじゅに)公が住まわれました。道真公は度々この地に赴き、九州下向の折にも覚寿尼公の元を訪れています。道真公が大宰府で亡くなられた後、土師寺は道真公の幼名である「道明」から道明寺と改められ、道真公を祀る天満宮も建立されました。
境内には見どころがいっぱい
道明寺天満宮の境内には元宮 土師社(もとみや はじしゃ)をはじめ多くの摂末社があります。拝殿奥に広がる梅園には「巳(みぃ)さん」と呼ばれる白光社(しらみつしゃ)と、その後ろには3匹の大きな蛇が互いに抱き合うように見える珍しい3種の木があり、縁結びのご利益があると言われています。

また、道真公が土師寺に滞在された際に使われた硯や小刀は菅公遺品の国宝として宝物館に収められており、2月中旬からの梅まつりの期間などに観る事ができます。 その他、藤井寺市で出土した古墳造営の際に巨石を運搬した修羅(レプリカ)や、埴輪を焼いた登り窯(復元)なども観る事ができ、古のロマンを体感できる場所として、今も多くの人々が参拝されます。



