道明寺エリア 観光ガイド~スポット紹介&おすすめコース~
大坂夏の陣合戦跡地
あの時、道明寺で日本の歴史が動いた!
真田幸村らが間に合っていれば変わっていたかもしれない・・・
大坂夏の陣 道明寺合戦の合戦地を訪ねる歴史ウォークを楽しみませんか!
大坂夏の陣 道明寺合戦とは
豊臣秀吉の死後、慶長5年(1600)天下分け目の関ケ原の戦いに勝利し征夷大将軍となった徳川家康が率いる東軍と秀吉の遺児・豊臣秀頼とその生母である淀の方が率いる西軍が激突した大坂夏の陣。
慶長20年(1615)5月6日、大和路から進軍する徳川方(水野勝成・伊達政宗隊)2万3千を迎え撃たんと、小松山(現在の玉手山一帯)に布陣した豊臣方の後藤又兵衛隊2千8百は、真田幸村らの後隊の到着が遅れたため、午前4時頃、単独で小松山を東に下り徳川軍へ討ち入りました。この小松山の戦いを皮切りに道明寺の戦い、誉田(こんだ)の戦いに至る12時間に及ぶ戦いを総じて道明寺合戦と言います。

孤軍奮闘の西軍 大坂城五人衆の雄 後藤又兵衛死す!~小松山古戦場跡碑~
小松山の戦いの舞台となった玉手山一帯には小松山古戦場跡碑やこの地で亡くなった後藤又兵衛基次之碑、その家臣の吉村武右衛門之碑など大坂夏の陣ゆかりの石碑、供養塔をはじめ、小林一茶の俳句碑など歴史探索が出来る史跡が点在しています。
また、四季折々の自然が楽しめる「柏原市立玉手山公園ふれあいパーク」は、アスレチック風の大型遊具などもあり、ハイキングにもおすすめです。


小松山古戦場跡碑
〒582-0028 大阪府柏原市玉手町25−80(柏原オーエンスアリーナ東角)
道明寺合戦の史実を今に伝える~道明寺合戦記念碑~
小松山から退却した後藤隊の残兵は道明寺河原(石川の西側)で薄田隼人(すすきだはやと)隊と合流します。しかし、追撃して石川を越えてきた水野勝成軍と激闘の末、薄田隼人は討ち取られ、西軍は誉田方面に退きました。
近鉄南大阪線・道明寺駅前にある「大坂夏の陣 道明寺合戦記念碑」は、真田幸村、伊達政宗など豊臣軍・徳川軍双方の精鋭部隊が激突し歴史が大きく動いた「道明寺合戦」を広く周知するため、平成26年(2014)に地元の人々により建てられました。
また、道明寺天神通り商店街と地元のまちづくり協議会などが協力し、合戦のあった毎年5月に「道明寺合戦まつり」を開催。勇壮な甲冑武者行列やステージイベントを行い沢山の人で賑わいます。


道明寺合戦記念碑
〒583-0012 大阪府藤井寺市道明寺3丁目1(近鉄南大阪線・道明寺駅前)
真田幸村と伊達政宗が対峙!~誉田林古戦場跡~
同日昼前頃、遅れて到着した真田幸村隊3千は誉田の西に兵を伏せ、道明寺方面から迫る伊達政宗軍に突撃し一進一退の激闘を繰り広げます。午後になり豊臣方の伝令より八尾・若江方面の敗戦を告げられると、午後4時頃から退却し始めました。
翌5月7日、真田幸村は大坂夏の陣の最終決戦となる天王寺・岡山の戦いで、敵の総大将、徳川家康・秀忠の本陣に迫る激戦の末、討死しました。
誉田八幡宮は、時代を経て八幡信仰と結びつき人々の厚い信仰を受けて現在の形に至っていますが、かつては戦の神として武運長久を祈り、源氏をはじめ、様々な武将たちが心のよりどころとしてお祀りされてきました。現在も地域の方や崇敬者の方達から守り神として、また安産や厄除け開運のご利益があると親しまれ大切にお祀りされています。

